映画を1分ごとに区切って観てみた。

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「かぐや姫の物語」を1分ごとに区切って観てみた。中編

ネタバレしかしていません。

未見の方は、日本を代表するアニメーション監督、高畑勲監督の「となりの山田くん」から14年ぶりの新作「かぐや姫の物語」是非是非ご覧下さい。

benio25250.hatenablog.com

物語としての工夫

物語の構造、キャラクター、内容の工夫を見てみます。

かぐや姫は何しに来たか?

劇中月へ帰らなければならなくなったかぐや姫はこんな事を言います
「私は、生きるために生まれてきたのに。鳥や獣のように」
かぐや姫は元々月の世界の住人です。
月の世界についてはあまり描写されませんが、最後に迎えにやってくる月の王を始めとする使者たちの姿であれが仏様である事が分かります。
月のパレードの元ネタと言われる阿弥陀聖衆来迎図(あみだしょうじゅらいごうず)

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ここから月の世界とは極楽浄土の様な、死に限りなく近い、苦しみも、喜びも全ての煩悩を廃した悟った世界であることがここから分かります。
ここからかぐや姫の物語の宣伝文句にもなっていた「罪と罰」が伺えます。
かぐや姫の罪は昔、地上に行った月の住人の様子を見て業に憧れを持ってしまった事、罰はその憧れの地上の世界に生まれさせられ業を体験させられる事です。

憧れを持った事が罪なのにその罰がその世界へ行く事とは、月の住人達が如何にこの世界が苦しみに満ちていると認識しているかが分かります。


月の世界からすれば、わざわざ悟った苦しみのない世界にいるのに業を求めて苦しみに行きたがるわけですから、例えて言うなれば人間の世界にいるのに獣みたいに樹海で生活したいと言い出すと考えれば愚か以外の何物でもないでしょう。


俗っぽく解釈してしまえば、今回のかぐや姫の物語の解釈は
都会育ちの娘が田舎に憧れて田舎田舎と言って聞かないのを、じゃあ行ってこいと田舎に放り出されて田舎で酷い目にあって出戻る話なわけですね。

ここからかぐや姫が一体何に憧れたのかといえば、苦しみも何もない悟り的な世界から苦しみから通して見える生の実感に憧れていたのにも関わらず実際の地上の生活はかぐや姫からしてみれば貴族生活は人間が勝手に管理しているので本物の野生ではなく中途半端に緩い訳です。

中途半端な貴族生活に対しては人間の勝手に作った社会もニセモノと私もニセモノかぐや姫は怒り狂う

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まとめるとかぐや姫は元々何もない世界に住んでいたため生への実感に憧れ、この地上へやってきて謳歌する、僕らが住んでいるこの地上は辛いことがあるにせよ、かぐや姫が憧れる程、生の喜びに満ちている「生の肯定」がテーマにある事が分かります。

男の愛はお節介

この物語の面白い点は話がかぐや姫の幸せが上手くいかなくなってしまう原因は実は父親にあるという描写がなされています。
冒頭、翁がかぐや姫を姫と呼ぶあたりの溺愛振りは非常に微笑ましく描かれていますが、それからの翁の行動はかぐや姫を苦しみ続けます。

顔が崩れる程、姫を溺愛する翁

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更に注目したいのはかぐや姫を溺愛しているのは翁だけではなく月の国の人間も翁と同じくかぐや姫に何かと手を掛けてしまうのです。
かぐや姫に対して金や着物など豪華な仕送りを送り、かぐや姫の疾走と放浪とその後の命の危機にはまるでその出来事が無かったかのようにします。
更に御門に言い寄られ、思わず助けを求めた際には問答無用で迎えにやって来ます。
ラストにはようやっと捨丸とほんの少しだけ生の実感を味わう事が出来たのにまるで夢の様に手を加えてしまいます。
最後に牛車に乗って屋敷に帰る描写があるので捨丸にとって夢でも、かぐや姫にとって捨丸との再会は夢ではありません。

かぐや姫の命の危機に助けにやってくる月の使者

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こうして見てみると、翁も月の王もかなりの親バカなのです。
ここにはもっと世俗にまみれて生を謳歌したいかぐや姫の意向は一切ありません。
おそらく、最後に登場する月の王はかぐや姫の実の父なのではないでしょうか。
このような善人でありながら、親の意向に沿う様に娘の幸せを願う親のエゴを物語が進む推進力にしているの点は非常に面白いです。

構成としては苦難はだんだん強くなる

かぐや姫の意向が一切反映されない苦しみは物語として良くできていて、それがだんだんと強くなってゆきます。

始めは良かれと思って翁が都に住まわせ、
次に、かぐや姫を宝物と評し虚栄心を満足させる道具として見る貴公子が田舎を何とか諦めていたかぐや姫を乱し、
次に、完全に自分の主観しか存在しない御門が現れ、我慢が出来なくなり
最後には言葉すら通じない月の王にまさに問答無用で連れ戻されます。
やってくる人々はかぐや姫の意向や気持ちは無視し、しかもだんだんとその理不尽感が強くなる辺り非常に辛く物語に緊迫感を与えてくれます。

御門以上に話は通じない月の王

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魅力的なサブキャラクター

かぐや姫に登場するサブキャラクターたちですが、魅力的になる為に様々な工夫がされています。
例えば、かぐや姫に求婚する貴公子たち
かぐや姫に求婚する男達は具体的には5人間の貴公子と帝が登場しますがそれぞれ違う個性で持って違うアプローチでかぐや姫に言い寄ります。

車持皇子は大袈裟な武勇伝で自分をアピールしますし、阿部右大臣は自分がどれだけ財産をかぐや姫に捧げられるかで誇示します、大伴大納言は自分がいかに武力を持っているかで勝負しますし、石作皇子は真心や2人だけでなど言葉巧みな甘い言葉で誘います、石上中納言はなんだか頼りなくて母性を刺激します。
大体男が自分がいかにオスとして優れているかをアピールするパターンを劇中貴公子たちは体現して行動しそれが滑稽に描かれています。

あらゆることを尽くして言い寄ってくる5人の貴公子たち

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脇役のキャラクターで見逃せないのが、かぐや姫に仕える女童です。
彼女はキャラクターの設定で言えば内面やバックボーンが殆どありません、葛藤や目的もないしそもそも名前ないしセリフも必要最低限です。
そんなキャラクターが何故魅力的かと言えば非常に細やかな所作にあります。

貴公子の乱れた衣装を直してあげたり、かぐや姫のお世話の合間を縫って食事を摂ったり

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この所作が彼女の内面を映し出し非常に愛らしいキャラクターになり、物語に和みを与えてくれます。

この女童の特異な点はもう一つあって彼女だけ非常にデフォルメされている点です。
彼女だけ物語のリアリティから少し外れています。
その描写の1つとして女童は歳を取りません。

かぐや姫ですら屋敷に来てから長髪になり大人びているのに彼女は一切変わりません。一種の妖怪のようなな扱いをされています。

初登場の女童

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ラストにわらべ歌を歌って登場する女童

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この様に古典である「竹取物語」を映画にするにあたって物語的にも新しいテーマや人物の性格など新しいものを積極的に取り入れて工夫をしているのが分かります。

 

後半は個人的に好きなシーンを書いていきます。

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