「かぐや姫の物語」を1分ごとに区切って観てみた。後編
ネタバレしかしていません。
未見の方は、日本を代表する高畑勲監督、「となりの山田くん」から14年ぶりの新作「かぐや姫の物語」是非是非ご覧下さい。
後編は「かぐや姫の物語」でもお気に入りのシーンを描いていきたいと思います。
かぐや姫の物語の中でも好きな狂った演出
じじいが現代で言えば年端もいかない少女に欲情してからの
「さながら枯れた泉が蘇ったかのよう」と結構際どい下ネタを放ちつつ秋田の頭が車輪になって独り歩きするという狂った演出
枯れた泉が蘇る秋田
秋田の話が独り歩きする
端から見ると少女に欲情したじじいの顔が車輪の中で回っている。
他にも5人の貴公子のうちの燕の子安貝を求められた石上中納言ですが、頭から直立で壺に落下してそれが原因で死亡してしまいます。
かぐや姫は貴公子たちを試した行為自体を悔やみます。
石上中納言の致命傷の受け方がちょっとコミカルすぎて面白い。
中納言の死により新しい命が生まれるというオマケ付き
うーむマッドだ。。。
みんな大好き御門様
かぐや姫の物語の中で個人的に一番インパクトのあるキャラクターだと思うのが御門ですが、彼は生まれてこの方自分の思い通りにならなかった事がないキャラクターとして描かれます。
脇から覗きこんで
後ろから抱きつき
輿に乗せて誘拐しようとします。
なんなんだコイツ!
御門は非常に人気なようでテレビ放送後、様々なコラージュ画像が作られました。
物語的にはかぐや姫の幸せを願う翁を含めた彼女の内面を一切考えない男共の大ボスとして登場する訳ですが、イケメンで家柄も最高なんだけど特徴的外見(アゴとか)と内面も行動も相まって特出して狂っている部分がいい感じにキモいです。
かぐや姫も御門に抱き寄られたのがきっかけで月に助けを求めてしまいます。
そんなに帝が嫌か
妻と子供を捨ててしまう捨丸
かぐや姫は最後の最後に捨丸に一緒に逃げてほしいという願いを聞き入れて少しだけ本当はこうありたかった未来を告白し、それを味わいます。
ここだけ見れば、かぐや姫に与えられた最後のチャンスです。
捨丸の立場に立ってみます。
捨丸には既に奥さんと子供がいました。
かぐや姫が捨丸とだったら幸せになれたかもしれない未来を提示された時、捨丸は子供も奥さんも捨てて逃げる道を選んでしまいます。
捨丸にとっても自分の人生はかぐや姫同様、姫と一緒だったら幸せになれたかもという思いであり、かぐや姫と同じくらい幸せになれていたかもしれない。と今と比べて思ってしまったのだと思います。
もちろん、良いかか悪いか分かりません。
むしろ映画的にはここで妻と子を捨てるのは倫理的におかしいので登場人物たちの身勝手さが出てしまい素直に共感出来なくなるのであまり良くはないでしょう。
しかしこのタイムリミットが迫った上での最後のタイミングで妻と子供を捨てる描写をぶっこんで来られたのには心がもやりと動きました。
こんなに魅力的な現状からの脱却を提示させられたら子供捨ててでも飛びつくんじゃないか…?と。個人的に思ってしまう。
月の住人達の理不尽さ
連れて行かれる時かぐや姫はこの世界はこんなセリフを言います。
「汚れてなんかいないわ!喜びも悲しみも、この地に生きる物はみんな彩りに満ちて…鳥、虫、草や花、人の情けを…」
物語的に言えば物語のテーマをセリフで説明してしまっています。
普通は物語のリアリティを害してしまうので歓迎されません、しかし相手は悟りの世界の無理解な月の住人達。
かぐや姫が別れを惜しむ様子や姫の語るこの世界はいかに美しいかすら「汚れ」と一刀両断します。
わざわざ言葉でもって説明するのですが、その言葉すら食い気味に断ち切って衣を着せる
こちら側の論理を全く寄せ付けない。
かぐや姫の物語の評論で語られる月の住人達は「死」なのではないかというのも納得出来ます。
最終的には生きたいと願うかぐや姫に理不尽な死がやってくる。
だからこそ生は尊い。
実によく対比が取れていてグッときます。
一番業が深いのは何か?
このかぐや姫の物語は制作費約50億円制作期間で7年を費やし作られたのだそうです。
ドキュメンタリーではこだわりの作品を作った職人の美談として語られますが、正直このクオリティにこだわりまくって無茶をしまくっています。
高畑勲、『かぐや姫の物語』をつくる。~ジブリ第7スタジオ、933日の伝説~ [Blu-ray]
- 出版社/メーカー: ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
- 発売日: 2014/12/03
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログ (3件) を見る
でも宮崎駿や高畑勲は気にせず作る。
それはやはり何と言っても宮崎駿と高畑勲がいなきゃ成立しないのが大きいのではないでしょうか。
「映画は映画そのものよりも作ってる人間の方が面白い」と聞いたことがありますが、
風立ちぬといいかぐや姫の物語といい、これらの映画が正にこれに当てはまると思いました。
個人的な妄想ですが、「風立ちぬ」の堀越二郎が宮崎駿監督そのものだったように、「かぐや姫の物語」における貴族の生活をしながら苦労に憧れるかぐや姫は、なまじ予算やスタッフに恵まれているが周りや自分を追い込む高畑勲監督本人だったのではないかとぼんやり思ってしまいました。